更新情報

2022/08/02 行事のご案内を更新しました。

◎第5回 法話会のご案内

2022/05/01 行事のご案内を更新しました。

◎第4回 法話会のご案内

2022/03/01 行事のご案内を更新しました。

◎第3回 法話会のご案内

2021/12/02 行事のご案内を更新しました。

◎第二回 法話会のご案内

2020/09/02 報恩講中止のご案内を掲載いたしました。

 

2019/10/09 台風19号の接近により、ご参詣いただく方の安全を考慮して、報恩講の日時を変更いたします。

変更前 10月12日 を

変更後 10月14日 に変更いたします。

ご参詣を予定しておられた方は、ご予定の変更をお願いいたします。

2019/09/01   行事のご案内を更新しました。

◎報恩講のご案内

◎聞法集会2019のご案内

◎学習会のご案内(第3回目)

2019/06/04 行事のご案内を更新しました。

◎新盆合同法要のご案内

2019/06/01 行事のご案内を更新しました。

◎学習会のご案内

2018/09/02 行事のご案内を更新しました。

円応寺報恩講のご案内 

2018/04/17 行事のご案内を更新しました。

2018年東京教区 同朋大会のご案内

 

2017/11/02  ブログ(聞法集会2017)を更新しました。

2017/10/14   ブログ(横浜別院報恩講)を更新しました。

2017/09/27    行事のご案内を更新しました。

円応寺報恩講のご案内

横浜別院報恩講のご案内

湘南組聞法集会のご案内

 

2017/09/20 円応寺のホームページをリニューアルしました。

お寺の掲示板

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供養とは、元々、仏や菩薩などの諸仏に心から敬いの念を持ち、香華、燈明、飲食などの供物を捧げることを言うのですが、仏教が伝来する過程でいつの間にか、死者の霊に供え物をして、死者の冥福を祈るための追善供養へと変化してきました。

「追善供養」とは亡くなった人が、より良い所に行けますようにとの願いを込めて、生きている私たちが「供養」することを言います。
親鸞聖人は「亡き父母の追善供養のための念仏は一度たりともしたことがない」(歎異抄第五条、真宗聖典p.628)と述べておられます。その理由を「一切の生きとし生けるものは何世代にも渡って、いのちを受け継いできたのであるから、今生の父母の為だけに念仏する必要がない」と。続けて「ましてや、自力の努力で得た念仏であれば、その念仏を父母の往生の為に追善の功徳を与えることも出来るだろうが、他力(如来より賜った)念仏で救おうなど、おこがましいことである」と。追善供養を否定されておられます。
では、浄土真宗に於ける「供養」とはどうあるべきなのでしょうか。
先ず、世間でよく聞かれる「霊感商法」を考えてみましょう。
「何世代も前の先祖に悪い人がいる。その人を救わないと、あなたの人生も良くならない。追善の為に壺を買いなさい」だとか、「より良い人生にする為に、〇〇を買いなさい」と、それが幾度となく繰り返されて、その結果、自己破産や家庭崩壊など社会問題化しております。この事から考えると、物品を買い揃えることが供養にはならないと私は思います。
次に、「修行」的な事で供養は出来るのか。
例えば「追善の為に一万遍の念仏を、あなたが生きている間、毎日続けなさい」とか、「一ヶ月で良いから、24時間不眠不休でお参りしなさい」など。皆さんは出来ますか。私には無理です。私は出来ないことはやらなくてもいいと思います。
私は「供養」と言うのは、老若男女貧富貴賤を問わず、誰もが出来ること。それは一つしかないと思います。それは「今」生きているこの「いのち」をちゃんと生きることだと思います。
この地球と言う星に「いのち」が誕生して数億年、私が生まれてくるまでの「いのち」の歴史。私ひとりの為に、どれだけ多くの人が「いのち」を受け継いできてくださったのか。先ずその事に感謝しましょう。
阿弥陀仏は私たちの思いや計らいを超えて、如何なる人に対しても「浄土に生まれよ」と呼びかけ、更に「必ず救う」と誓われています。その功徳に応えるのが念仏であり、先に亡くなって逝かれた方々(先祖)は浄土の諸仏として、私を阿弥陀仏の本願へ導くよう「仏の名を称えよ」、「念仏せよ」と働きかけておられます。
親鸞聖人は「南無阿弥陀仏を称えることは、仏を褒め讃える事である」(尊号真像銘文、真宗聖典p.520)と述べておられます。ここで言う「仏」は、阿弥陀仏と浄土の諸仏となられた先祖たちの事です。
お内仏(お仏壇)に香華を供え、燈明を灯し、飲食を供え、「南無阿弥陀仏」と合掌する日常の姿そのものが、供養と言えると思います。